
木の高さは1人が測れればいい?
皆さまこんにちは。教育サポート加茂・駅家校の加藤です。
例年であれば、テストが終わってすぐテスト返却がありましたが、今年は感染症の影響でテストを遅れて受ける生徒さんが学校にいた関係で、後日受験の子たちが受け終わってからの返却になるそうですね。それが今週のことだったそうで、テスト結果をお知らせできるのは次回のブログとなりそうです。
相変わらず大変な時勢ですが、協力して乗り切っていきましょう。
さて、先日、ある議員さんが「(高校数学の)三角関数を教えるよりも金融リテラシーを教えたほうが有意義だ」と発言し、物議を醸しました。確かに、高校生のうちからお金のことは色々知っていたほうが良いので、文面通り受け取るのであれば理解できるのですが、その議員さんは「三角関数を高校の指導要領から無くす」方向に話をしていたため、多くの理系の人々から反発されました。私も、反対です。
三角関数に限った話ではありませんが、中学・高校の数学や理科は「将来何の役に立つのかわからない」と思ってしまいがちで、「役に立つかわからない」が「役に立たない」に変換されていって勉強するモチベーションが下がる、というのはよくある話だそうです。
槍玉にあがった三角関数というのは、周期性のあるものを表現するのに便利で、皮肉にもその発言をした議員さんの重視したい経済学の中でもよく使われるものです。高校の政経でも習う、キチン・ジュグラー・グズネッツ・コンドラチェフという4人の経済学者の名前を冠した景気変動の波も、三角関数を使って表現することがあります。
「100人がいたら、木の高さを測る技能は1人が知っていればいい。あとの99人はその結果を教えてもらえればいい」ということらしいのですが、これは非常に危うい考えで、「木の高さを測れる人」が悪意を持って嘘をついていたり、うっかりしてミスしてしまったりしても、それを正すことが出来る人がいないということになります。
中学・高校で幅広い学問に触れる意義のうちの1つは、騙されにくくなることです。学ぶ力、調べる力の土台に、やはり基礎知識は必要になります。そういった意識をもって勉強していきたいですね。