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加茂・駅家校ブログ

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2024-04-17更新

2024/4/17 勉強とは、教養とは

いつもお世話になっております。教育サポート加茂・駅家校の加藤です。

新学期が始まり、新たな生活はいかがでしょうか。新中1の皆さんは、部活の体験であったり、オリエンテーションであったりと、中学校に慣れるための行事が行われている頃でしょうか。

これまでの友達だけでなく、新しい友達とも交流を持って、交友関係・見聞を広めていってください。

さて、新学年となり、学校の勉強は1学年前の時と比べて難しい単元も増えると思います。難しい内容の勉強になると、「どうしてこんなことを勉強するんだろう」「こんなこと勉強して、将来役に立つんだろうか」と考える子もいると思います。

どうして勉強するの?と問われた際、やはり多くの大人は「受験で望む高校・大学へ行って、望む職に就けるように」と言うでしょう。そして、それは間違っていません。我が子であったり、教え子であったり、身近な子どもたちの人生の成功を願う大人にとってはまず考えるのはそういった答えです。

そしてそれだけが勉強ではないことも、多くの大人は知っています。

勉強にはいくつかの側面があります。

・勉強の成果をテスト・入試として評価して、その結果に応じた進路決定を行う結果重視の側面

・勉強をする過程で、思考の整理・自分にあった暗記の方法の模索・反省と復習による自分の抱える課題の解決などの勉強以外の面でも役に立つスキルを身につける側面

・勉強したことをつなげたり、日常で見聞きする話を解釈して会話に深みを与える教養の側面

私たちはこれら全て大事なものとして認識しています。また、これらは個々に独立したものではなく、互いに干渉しあうものであるとも思っています。結果を求めて勉強したことが、後々自身の教養として残ったり、その時の努力がその後の努力の方針立てとなったり。教養として知って身につけたことが、試験で役に立つこともあったり。

私個人の思う教養とは、知識自慢の道具でも、相手との会話でマウントを取るためのものでもなく、「人生で楽しいと思えることを増やす道具」だと思っています。直接的な繋がりであれば、歴史の勉強が好きで頑張った人は、そうでない人と比べて大河ドラマや歴史小説を楽しいと思えるでしょう。受験算数や数学の知識を多く身につけた人はパズルなどを楽しむことができるでしょう。

暗記の手法で、メモリーツリーというものもありますね。関連する事項を繋げて覚えることで忘れにくく・思い出しやすくする効果があります。これは特定の科目だけでなく、様々な科目の知識を結びつけて覚えると、より効果的で、好きな科目を足がかりに苦手な科目を覚えることにもつながります。

よく私が高校生に話をするのは、故事成語の「不倶戴天」です。まずは、漢文としての返り点を補うと、「不(ニ)倶戴(一レ)天」となり、書き下し文にすると「倶には天を戴かず」となります。詳しい成り立ちは今回は省きますが、「同時には同じ空の下に生きていられないほどの宿敵」という意味ですね。「2人揃って同じ空の下に存在できない」。今回は意味よりも、「倶には~せず」に注目しましょう。ともに(どちらも)は英語でbothですね。その否定をしてnot~bothは「どちらも~とは限らない」という意味になり、漢文の不倶~も同じ訳となります。また、数学(論理学)で「ともに~である」の否定は「少なくとも一方は~でない」となり、集合論の話では「A∧B」の否定(¬)は「(¬A)∨(¬B)」となり「AかつB」の否定は「AでないまたはBでない」となります。高校1年生で習うド・モルガンの法則がこれに該当します。

このように、英文法・漢文法の部分否定と数学のド・モルガンの法則は(どちらも言語の話なので言われてみれば当たり前ですが)つながっているのです。こういったことに自ら気付けたり、誰かから聞いて知り、科目に依らず様々な分野の知識を繋げることができると意識できるようになると、世界の見え方も変わってくるかもしれません。

注意しておきたいのは、「楽しいだけ」の勉強はほとんどなく、また、ただ楽しいだけの知識を詰めていっても意味がないということです。「楽しいから勉強する」人は「行き詰って苦しくなるとモチベーションを保てない」かもしれないからです。

勉強とは基本的には大変で、苦しいことが多いです。それでも、時々拾うことができる「楽しいこと」に目を向けることができるようになれば、それが「教養」となりうるのです。

教養を身につけることができるのは、ある程度勉強を頑張った人だけなのです。


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