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2022-03-22更新

2022/3/22 歌詞が生まれ変わるとき

こんにちは、教育サポート瀬戸校の山中です。

突然ですが、みなさんには、何年も何十年も聞き続けている曲がありますか?

私にはたくさんあるのですが、その中に、槇原敬之さんの「桃」という曲があります。

大学生の時に、留学先から帰る飛行機の中で出会った曲です。

それから時が流れ、10年くらい前に、私のウォークマンの中に入りました。

散歩しながらよく聞いていたのですが、忙しくなり、ウォークマンの中のこの曲が再生されることはなくなっていました。

最近、ジム通いを始めたのですが、変わらない景色を歩いたり走ったりすることに飽きてきて、また、たまに散歩をするようになりました。

時が止まったままのウォークマンの中には、なつかしいこの曲が入っていました。

久ぶりに聞いたこの曲は、衝撃とともに、全く違う意味を私に与えてくれました。

私がこの曲の持つさらに深い意味に気付くステージに到達することができたからなのか、それは不明ですが、とにかく直観とも言えるスピードで気付きが全身に流れ込んできました。

こんな経験は初めてで、歌詞が生まれ変わるということを身をもって体験しました。

私の中で、意味合いが変わった歌詞は以下の部分です。

 

高い場所に実を付けた

桃に手が届くように

君を抱き上げることが

幸せだと僕は気づく

独り占めすればいいのに

地面に足をつけた君は

一緒に食べようと笑うから

桃はもっともっと甘く香る

 

この歌詞の主人公のように生きたいとずっと思ってきました。そして、主人公が抱き上げる相手のような生徒や友人が欲しいとずっと思ってきました。

だから、人のために何かをできる人間になりたいと強く思い、そのように行動をしてきました。

しかし、この歌詞を知っている私は、抱き上げた相手の行動の結末を知っています。

つまり、「見返りをくれて、その見返りは自分が相手に与えたものよりも甘美である。」ということです。

この曲の歌詞を心に刻みつけすぎたあまり、いつの間にか、自分の意識しないままに、人に見返りを求める人間になっていたのかもしれません。

というより、自分が抱き上げる相手は、この歌詞のようにするべきだという価値観に縛られ、他人にも押し付けてしまう人間になっていたと言うべきでしょうか?

久々に聞いたこの曲と、そんな私の行動に悲しそうな顔をする大切な人たちの姿が、この曲の持つさらに深いメッセージに気付かせてくれました。

相手の手の届かないところにある桃を、相手が取れるように抱き上げる。

でも、この歌詞の結末のように、相手は桃を分けてくれないかもしれない。

そもそも、桃を取るように抱き上げたけど、さらに上に桃よりも相手が好きなものが実っていて、抱き上げた自分の腕をほどいて、木の枝にぶら下がって取りに行って、二度と戻ってこないかもしれない。

そうなったとしても、相手のためだけを考えて、抱き上げることができますか?と問われているのだと思いました。

例えば、生徒が、自分が抱き上げたことで、勉強以外のことに興味を持って、塾を去ることになるかもしれない。

大きな成果を手にしても、自分ではない他の誰かに感謝するかもしれない。

それは、確かに、さみしいことだけど、生徒のためになるのなら喜んでしたいと思います。

まだまだ、このことに気付いた段階で、行動に移すのは容易なことではないでしょうが、そうなったとしても抱き上げたいと思わせてくれる生徒がいる自分ならきっとできるようになると信じています。

もしかすると、数年後、さらにこの曲の持つ深い意味に驚いている自分がいるかもしれません。

本当に、音楽は素晴らしいなと思う出来事でした。

ありがとうございます。

 

 

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